第7話

―――ガーデン・ゲート。
白皇学院の中心にそびえ立つ、シンボルタワーとも言うべき時計塔。その最上階に位置する“天球の間”は学院を一望出来る視野の広さを誇るが故であろうか、生徒達を見守る生徒会の執務室として使われている。

白皇学院の誇る生徒会長・桂ヒナギクは会長就任以来、この天の高みにある生徒会室から生徒達を心の目で見守りつつ、会長としての業務を執り行っている。部屋はシンプルかつ機能性を優先したデザインだが、適度に調度品を配置することで殺風景さを和らげていて、執務に集中しやすく、居心地も悪くない。故に窓からの景色を除けば、ヒナギクにとってはこの部屋はなかなかにお気に入りの空間であった。 だが・・・いつも通りに扉を開けて、ヒナギクは愕然とする。

「は・・・・・・?」

扉の先にあったのは、見慣れた執務室の姿はなく、華やかに装飾された全く見覚えの無い空間。そのあまりにもきらびやかな室内の様子に、部屋を間違えたかと思ったが、毎日足を運んでいる部屋を間違えるはずもない。しかも、それだけでも混乱するには十分な状況だと言うのに、

「あら桂さん、いらっしゃい。 あなたも私達を祝福に来てくれたのかしら?」

部屋の中から声をかけてきた少女の存在が、更なる違和感となってヒナギクを襲う。

「あの、天王洲さん、ちょっと状況を説明して欲しいっていうか・・・」

目の前にいるのは、ヒナギクも良く知る人物―――白皇学院理事長・天王洲アテネ。文武に秀で、その上たぐい稀な美貌を備えた若き理事長は、生徒会長“完璧超人”桂ヒナギクにも全く劣らぬ存在感の持ち主であり、同じ高みにいるが故か、二人の親交は決して浅くないのだが・・・今日のアテネは、
ヒナギクの理解の及ばないところに居るらしい。 そもそも見た目、服装からして普段と違う。彼女の豊かな胸が強調されるデザインなのはある意味普段と通じるところもあるが、今日のドレスは肩も大きく開いたもので、アテネの持つ女性としての色気が一段と強調されている。それでいて、少しも下品な印象を受けない。だがそれよりも何よりも、まず、色が違う。
白い。
純白である。
これはもう、誰がどう見ても・・・

「・・・ウェディングドレス?」

なのである。元が美人でスタイルも抜群な彼女のウェディングドレス姿は、ただ美しいのを通り越して同性のヒナギクですら思わず息を呑む程なのだが―――如何せん状況が余りにも突飛過ぎる。

「あら失礼、桂さんには招待状を届けていなかったかしら? ごめんなさいね・・・まぁでも聡明なあなたならお分かり頂けるでしょう?」

残念ながら驚異的な洞察力にも、流石に限度というモノがある。

「ご覧の通り―――ここは今、二人の新たな門出を祝う神聖な場所となったのよ」

 

心底幸せそうなアテネは、ヒナギクの呆然とした表情に気づいているのかいないのか、意にも介さず振り向いて、やや恥ずかしげに背後の人物を指し示す。

「私と、ハヤテの・・・そう、結婚式のッ!」

  〜〜ヒナギクさんも受難〜〜

いやん恥ずかしい(はぁと)、みたいなノリで頬に手を当てて恥じらうアテネ。ヒナギクの知る普段の彼女とはあまりにもかけ離れたその様子に、今のアテネと真っ当なコミュニケーションを行うのが至難の業であることは想像に容易かった。とは言えこの催しのもう一方の主役はと言えば、そちらはそちらで・・・

「ハヤテくん! あなたも何してるのよ、そんなところで」

「むー! むぐー!」

服装は白のタキシード。腕と胴にはぐるぐる巻きの荒縄。口元には猿ぐつわをあしらわれて、天井から吊された姿は、まさに花婿・・・

「なワケないじゃない!」

どう見てもある種のプレイにしか見えない。

「マリッジブルーって言うのかしら、こういうの?」

もがくハヤテも、ヒナギクのメタなツッコミも全く意に介する様子はなく、アテネはひとり自分の世界にどっぷりのご様子。

「ハヤテったら、今になって急に恥ずかしくなってしまったみたいなの。
あんなに愛しあって、もう何度も同衾までした仲なのに・・・」

「ど・・・・・・どうき・・・ん・・・!?」

―――同衾【どうきん】(名)スル 一つの寝具の中に一緒に寝ること。特に、男女が特別な関係を持つこと。ともね。―――

相変わらず恥じらう恥じらう乙女モードのまま、しれっととんでもないコトをカミングアウトするアテネ。もちろん、子供の頃のロイヤル・ガーデンでのコトである。が、ヒナギクはそんな過去を知るハズもない。すでに意味不明な状況の連続で溜まりつつあった彼女のフラストレーションは、今の爆弾発言で一気に沸点に達し・・・

「ハ・ヤ・テ・くう―――ん!?」

彼女の怒りに呼応する様に飛来した木刀・正宗をぱしっと掴むや否や、ハヤテに向けて真っ直ぐに突進する。

「どういうコトか・・・説明しなさーいっ!」

「むぐ!? むむむむむー!」

猿ぐつわをされたままでは説明も何も出来たモノではないが、ヒナギクの勢いはどう見ても“とりあえずシバいてそれから説明させる”なノリ。いやもうむしろ、シバき倒した後に息があったら事情くらい訊いてやろう、と言うべきか。
そんな勢いで木刀を振りかざして迫るヒナギクに対し、当然ハヤテは全くの無力。結婚は人生の墓場と言うが決してこういう意味じゃないハズだ、等とハヤテが現実逃避じみたモノローグなど浮かべてる間に、ヒナギクは眼前に迫り、本当に躊躇いなく正宗を振り下ろし―――

「おやめなさい」

ビシィ! と。
当たれば本当にハヤテの頭が砕けかねない迫力の、ヒナギク渾身の上段。それをアテネは手にした扇子で事も無げに受け止める。

 

「―――っ!?」

ヒナギクが『なん・・・だと・・・!?』という表情を見せるが、それも仕方の無いことだろう。弾丸の如く突っ込んだヒナギクに対して、アテネは足音も立てずドレスの裾を翻すこともなく、いつの間にか目の前に立ち塞がっていて、しかも手加減無しの木刀の一閃を小さな扇子ひとつで防いで見せたのだ。
アテネの動作は“優雅”という言葉そのままのしなやかさで、一片の無駄も無い。だが、その表情、その眼は・・・先程までのお花畑な雰囲気から一変、獲物を見据えるハンターの視線に変わり、射抜かんとするばかりの眼差しをヒナギクに向ける。

「どうしたのかしら、桂さん。 確かに急な話だし驚かせてしまったかもしれませんわね。けど、それにしてもこんな横暴・・・白皇学院が誇る生徒会長の所作としては如何なものかしら?」

「そ、そうね、あんまりな出来事にちょっと我を忘れちゃったのは失態ね、それは認めるわ。 でも天王洲さん、白皇学院を統べる理事長ともあろう者が、婚姻前の身で何度も、ど、どど・・・同衾だなんて、ちょっと破廉恥過ぎじゃないかしら?」

常人であれば相対しただけで貫かれ、屈することを余儀なくされるに違いない、刃の如きアテネの視線。それをヒナギクは目を逸らすことなく、真っ向から見据え返す。白皇の理事長様と生徒会長様、と並び称される二人である。この二人の間には、明確な優劣など存在しないのだ。

・・・飽くまで、それが真っ当な日常であれば、の話だが。

(一体どうなってるのよ、これ!)

アテネが相手となれば簡単に一撃が入らないことくらい、彼女を良く知るヒナギクは十分理解出来ている。彼女を狙ったものではなかったにせよ、衝動に任せた直線的な攻撃などアテネの前では霞に剣を振るうが如く、であろう。
だが、いくらなんでも優雅過ぎる。
木刀の一撃、しかも全力ダッシュの勢いをそのまま乗せたヒナギク渾身の上段斬りを、見るからに華奢な扇子で“いなす”ならまだしも、“受け止めた”のである。

「随分ステキな扇子ね。 いったい、何で出来ているのかしら?」

明らかに尋常でないこの状況が、ヒナギクの脳裏にかつてギリシャの地で彼女と対峙した際の記憶を呼び起こさせる。人ならざるモノに取り憑かれたアテネの振るっていた異様な、そして圧倒的な力を思い出し、怒りで我を失いかけていたヒナギクは冷静さを取り戻す。ヒナギク自身も木刀・正宗という宝具を手にしているが、その宝具の一撃が防がれた以上、この武装だけでは現状、自身の不利を認めない訳にはいかない。
ならば拘束されたハヤテをなんとか開放して、二人がかりでかかればあるいは・・・と、思考を巡らせるが・・・

「あらありがとう桂さん、この扇子、私も気に入ってますのよ?」

アテネの言葉がヒナギクの思考に割って入る。同時に、それまでビリビリと感じる程の圧力が不意に消え失せ、一転してアテネは穏やかな笑みをヒナギクに向ける。扇子のことを褒められたのがそんなに嬉しかったのかと一瞬だけ唖然として、そして―――

「でも、今はそんなお話をしている場合ではないの」

「っ!?」

その一瞬の隙を作ってしまったことを後悔したときには、時既に遅し。正宗を弾き、ぱし! と小気味良い音を立てて扇子を開いたアテネはあくまでもにこやかに、

「桂さんはあそこから、私達二人の新たな門出を祝ってくださるかしら?」

そう言うと、ヒナギクに向けて扇子をふわり、とひと扇ぎして風を送る。

「わ・・・うわ、うわわっ!?」

扇子の起こした“そよ風”が、ヒナギクの身体をまるで突風に煽られたかのように吹き飛ばす。
何が起きたかわからない。身体に感じるのは、あくまでそよ風。なのに、その風に身体が吹き飛ばされている。
だが・・・状況を理屈で理解することは叶わずともヒナギクの身体は無意識に状況を把握し、対応する。視界からアテネを捉えたまま空中でネコの様に身体を捻ると着地と同時に反撃可能な構えをとり、腰を落としてアテネとの距離を一気に縮められるだけのバネを溜めたまま、彼女の隙を伺う。
一方のアテネはそんなヒナギクの視線の先で、扇子で口元を隠したまま微動だにせずにいる・・・が、その目元には微かな悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「桂さん、そこはあなたの為に特別に用意した特等席なのよ? そこで最後までおとなしくしていらしていってね?」

「何を・・・って・・・」

隙を見せまい、見逃すまいと、ヒナギクはアテネから視線を外すことはない。だが、彼女の言う特等席という言葉にもひっかかるものを感じ、周囲の状況を肌で感じ取ろうとする。
が・・・全身の感覚を研ぎ澄ませるまでもなく、ヒュゥゥゥウ、と・・・

「・・・え?」

ひんやりとした空気が肌を撫でて通り過ぎる感触に襲われて、ヒナギクの背筋が一気に冷える。肌に感じた空気が冷たかったからではない。その空気の流れ―――風が吹いている、という状況が問題なのだ。特にヒナギクにとっては、致命的に。

「え、え・・・?」

心なしか顔色が蒼ざめてきたが、それでもヒナギクはアテネから視線を切って周囲を見回すようなことはしない。否、正確には、“しない”ではなく“できない”のだ。
そんなヒナギクの視線の先でアテネは相変わらず扇子を口元にあてたままの姿で動かない。アテネの笑みは悪戯っぽいものからサディスティックなそれへと変化しつつあったが、動揺したヒナギクにはそんなことに気付く余裕などない。

「気に入って頂けたかしら、桂さん。白皇学院生徒会長のあなたには、学院の全てを見渡せるその席はうってつけだと思うのだけど」

明らかに顔色から血の気が引いてきて、アテネの問い掛けに何も答えられずにいるヒナギクに、さらに畳み掛けるように、ビュゥゥゥゥゥ、と―――高所故の冷たく強い風が吹き付ける。

「え、え・・・えぇぇえぇええ!?」

もう、間違いない。
考えたくなかった、と言うより認めたくなかった事実だが、ヒナギクは自分の置かれている状況を把握せざるを得なかった。と同時に、正宗を構える腕が、身体を支える脚が、かたかたと小刻みに震え出す。そう・・・ヒナギクは、アテネの巻き起こした風によってテラスまで吹き飛ばされていたのである。
完璧超人と名高き彼女ではあるが、実は高所恐怖症という露骨な弱点を抱えたまま、未だ克服できずにいる。そんな彼女が東京中を見渡せる程の見晴らしを誇るテラスに追い出されてしまったのである。こうなっては“完璧”も“超人”もあったものではない。ただひたすら、怯えることしか出来ないのだ。

「ちょ、ちょ、ちょっと、こ、これは、は、反則! ダメよ! これだけは、だ、ダメよ!」

すっかり戦闘モードを解除してしまったヒナギクは、手にした宝具を杖にして、震える足で慌てて室内に戻ろうとする。心情的にはすぐにでも部屋に飛び込みたいところだが、脚の震えは止まらないし力は入らないしで、たかが数メートルの距離が途方もなく遠い。
そんな涙目のヒナギクを室内から一瞥するとアテネは扇子を口元から離し、再びヒナギクに向けてふわり、と振るう。
(また風がくる!)
ここから更に吹き飛ばされたら本当に洒落にならないことをヒナギクの防衛本能が察知して、考えるより先に身体が勝手に動く。咄嗟屈むと、低い姿勢で風に備える・・・が。
風が、来ない。
来るはずのものが来ない違和感と身体を起こすリスクとを秤にかけることに数瞬の間を要した後、ヒナギクは意を決して顔を上げる。
視線の先には―――先程まで扇子の陰に隠れていたアテネのサディスティックな微笑。その笑みに、ヒナギクは己の咄嗟の行動が誤りであったことを直感し、慌てて身体を起こそうとする。
だが、アテネを映す視界が左右から狭まり、それがどんな状況なのか認識できた時にはもう・・・

がちゃん!

遅すぎた。
テラスの扉はヒナギクの眼前で残酷な音を立てて閉ざされ、次いで、がちり、と錠を下ろす音がとどめとばかりに追い討ちをかける。
ヒナギクの前には、閉ざされたガラスの扉。そこに映るのは、テラスに取り残されて風に曝され涙目になった彼女自身の姿であった。

 

 

 

「・・・ふっ」

泣き出しそうな顔のヒナギクを首尾よくテラスに締め出し、アテネは満足げに笑うと未だ吊されたままのハヤテに向き直る。

「さあ、ハヤテ」

くるりと反転したのは身体だけではない。先程までのサディスティックな笑みの痕跡など微塵もなく、お花畑でも似合いそうな渾身のデレ顔で、声も明らかに浮かれている。
むしろその落差がハヤテには怖い。

「これで二人の愛の宴を邪魔する輩は葬られました。 さあ・・・今すぐ永遠の愛を誓いましょう! 今すぐ!」

浮かれた声なのに言っている内容も怖い。
だが怖かろうがなんだろうが、今のハヤテには拒否権など無い。自分に差し向けられるアテネの手を掴むことも避けることも、束縛された身体では適わぬこと。その上に猿ぐつわまで噛まされて声を上げる自由すら奪われていたが・・・そちらの自由は意外にもすぐに取り戻すことになる。
アテネ自らの手で、ハヤテの猿ぐつわを外したのだ。

「・・・っはぁ、あ、アー・・・たん?」

これでやっと喋れる、明らかにおかしな状況にあるアテネにも、会話を、というより意志の疎通を図ることが出来る―――と思ったの、だが。

「ハヤテ・・・」

「・・・!」

顔が近い。
近すぎる。
しかも縛られて吊されているのは相変わらずで、逃げられない。

「さぁ・・・」

アテネは更に迫ってきて、彼女の息が感じられる程。
いつの間にか目は閉じられ、彼女の意図はもう明らか。
だがもう状況にすっかり呑まれたハヤテには、流れに逆らうことも出来ず・・・

「誓いのキスを・・・」

この状況がおかしいと理解していながらも、アテネの醸す空気に呑まれ、ハヤテもまた目を閉じて・・・

 

がしゃあああん!

と、唐突に響き渡る破壊音が、そんな空気をぶち壊す。
果たして、その音を鳴り響かせたのは―――

「ひ、ヒナギクさん!」

粉々になって散乱した、テラスの扉であったもの。その向こうに、あまり堂々とはしていないが、立ちはだかる生徒会長の姿があった。

 

「生徒会室を勝手に改装して、あまつさえ学生の分際でふしだらな行い・・・」

がちゃ、とガラスの破片を踏みつけて、室内へ一歩。

「その上、ヒトを命の危険に晒すなんて・・・!」

顔を伏せて表情は読めないが、震える声と肩が彼女の怒りを表しているのだろう。そんな彼女が顔をあげ、かっと目を見開き、室内の大気を震わせんばかりの大音声で―――

「絶対に許さない!」

 

 

涙目である。
空気をビリビリと震わせる程の声も、同じく涙声で、迫力よりもむしろ“かわいそう”感が強すぎる。

「・・・海より広いヒナギクさんの心も、ここらが我慢の限界だったんですね」
「桂さんの堪忍袋の緒は元々そんなに丈夫ではなかったように思うけど?」

ある意味レアなヒナギクの様相に、思わず状況も忘れて呟いてしまうハヤテ。間髪を入れず突っ込みを入れるアテネもまた興をそがれたのか、心持ち冷静さを取り戻した様である。

「やれやれ、部屋はマキナに片付けさせるとして・・・」

怒りやら、まだ消えない恐怖やら、様々な感情が入り混じってぷるぷる震えながら睨みつけるヒナギクを、アテネは邪魔そうな、そして少々哀れむような色も混じった視線で見据え返す。

「・・・っ!」

視線が交錯した瞬間、ヒナギクは弾かれた様に床を蹴り、アテネとハヤテに向けて一直線に駆け出す。木刀・正宗を振りかざし風を巻く様なスピードで迫り来るヒナギクの迫力に、防御も回避も出来ない状況にあるハヤテは思わずゾクリとせずにはいられない。だが、アテネは臆することなくヒナギクを見据えたまま、扇子を持っていない方の手をスッ、とかざす。
先程とは異なる行動にヒナギクは気付いていないのか、気付いた上で敢えて無視することとしたのか、そもそもそんな細かいことを気にしている余裕など既にないのか・・・真相は当人にしかわからないところだが、とにかくヒナギクはアテネの見せた動きに構うことなく真っ直ぐ彼女に突進する。

「はぁあああああ!」

いよいよ間近まで迫り、気合の声を放つヒナギク。対するアテネはその圧力をするりと受け流す様な静かな動作でハヤテを吊るしたロープを掴み・・・

「まさに猪突猛進、ね」

くい、と引く。

「え?」

アテネが引いた分だけ僅かに身体が沈んだハヤテが、一体何を、とアテネの顔を窺いたくもありながら、ついに間合いに迫ったヒナギクから目を離すことが出来ずに混乱しかけたところで・・・

「え、えええ!?」

「ええええええええええっ!?」

ハヤテの目の前から、ヒナギクが消える。思わず発した動揺の声に、自分以上に動転したヒナギクの声が被っていることに、そしてその声が何故か下方から、しかもどんどん遠ざかっていることに、間を置いて気付く。声の方向に目をやると・・・

「・・・お、落とし穴?」

「ええ」

天井から釣り下がっているヒモを引くと、床がぱかっと割れるタイプの、昭和な雰囲気たっぷりな、スイッチ型の仕掛け。一直線に迫るヒナギクを、アテネはそんな古典的な仕掛けで見事にハメた訳である。

「なんでこの部屋にそんな仕掛けが・・・っていうか、僕、そのヒモに吊るされてたんだ・・・」

「細かいことはいいのよ」

ハヤテの至極真っ当な疑問をアテネは素晴しい漢っぷりでスルーして、もう一度ハヤテを吊るす紐を引くと、今度は割れた床が左右からせり上がり、元の室内の様相が再現される。

「ヒナギクさん、大丈夫かな・・・」

穴の奥が覗けた訳ではなかったが、閉じてしまうと今更ながらにヒナギクの安否が気遣われてくる。何せ何処まで通じているのかも、どれくらいの深さがあるのかもわからない落とし穴である。ガーデンゲートの高さを考えると、恐ろしい想像ができなくもないのだ。

「安心して、あの穴は一つ下の階の、ベッドルームに繋がっているわ。いくら彼女が我を忘れていて着地に失敗したとしても、下は柔らかいベッド。怪我をすることは無いでしょう」

あのスピードからいきなり落下して、綺麗にベッドの上に落ちる可能性ってどれだけあるんだろう、とか考えないでもないハヤテだが、今回の件については大概のことはアテネの思う様に運んでいる気がするので、ハヤテもまたアテネに倣って細かいことは考えないことにする。ちなみに階下のベッドルームが何の為に用意されているのかについても・・・とりあえず考えないことにした。

「あ、でも、無事なら無事で、ヒナギクさん、すぐにまたやってくるんじゃ?」

むしろあんな罠にハメられて、ますます怒り心頭になって、今にも床を突き破って飛び出して来たとしてもおかしくないんじゃないか、というかそんな姿のヒナギクがハヤテには容易に想像出来てしまう。
だがアテネは心配する素振りも見せず、

「大丈夫よ、彼女はもう今頃、それどころじゃないはずだから」

だから心配しなくていいわよ?とでもいう風に、にこり、と天使の様な微笑をハヤテに向ける。
それどころじゃないって、一体どんなことになっているのか。と、そこでハヤテはアテネが紐を引いた反対の手に握られている扇子がうっすらと風をまとっていることに気付く。

「アーたん、その扇子・・・」

そう言ってアテネを見ると、彼女はまたも悪戯っぽい笑みを浮かべ、ハヤテに片目をつぶって見せる。その所作自体は心臓が貫かれるほど愛らしい仕草なのだが・・・同時に、間違いなく彼女が落とし穴以外にも何かやらかしたことを確信させるものでもある。ヒナギクが確実にここに戻ってこられない様な仕打ち・・・それが一体どの様なものであったかハヤテには想像もつかないが、

(ヒナギクさん・・・すみません)

一応心の中で詫びてみたりした。

「さ、マキナ、お出でなさい。 そしてこの部屋をすぐに片付けて頂戴!」

アテネはぱんぱん、と手を叩き、彼女の忠実なる執事を呼びつける。その音でハヤテは改めて、結局状況が何も変わっていないことに気付いてしまう。

「あの、アーたん、せめてこの縄だけでも解いてくれると嬉しいんだけど・・・」

縄を解かれたところで逃げ出せるとは思えないが、流石にそろそろこの体勢はなんとかしたいのだ。
が。

「あら、ハヤテ」

アテネはそんなハヤテの意図など全く気づくこともなく、相変わらずの天使の微笑で、

「いいのよ、ハヤテは片付けのコトなんて気にしなくても」

そう言いながら、アテネの頬は上気して紅色を帯びる。純白の衣装に映えて、本当に女神の様な美しさなのだが・・・

「だって貴方は・・・もう従者ではないの・・・私の夫。そう、旦那様になるのですから!」

「あ、あはは・・・」

周囲に色とりどりの花びらが舞って見える程の幸せいっぱいオーラに、ハヤテはただ笑うことしか出来ないのであった。

 

 

階上でそんなお花畑が展開されている頃、その階下では。

「くっ・・・不覚!」

アテネの思惑通り、見事にベッドの上に不時着して事なきを得たヒナギクではあったが、突進のスピードそのままで落下したせいで流石に着地の衝撃が大きかったのか、しばらく身動きが取れずにいた。

「なんなのよまったくもう! あんな落とし穴まで作って!」

酷い目に遭わされた上にこんな罠にまでハメられて、彼女の怒りは相変わらずではあったが、しばらく休憩せざるを得ない状況に至り、多少の冷静さは取り戻していた。どの道、身体が動くようになるまではここにいるしかないのだ。ならば、状況の把握に努めようと考える。

「・・・ていうか、そもそもこの部屋は何なのよ!?」

天井の穴が閉じてしまった後は薄暗くてあまり周囲を見通せないが、部屋の中央にヒナギクのいるベッドがある以外には、シンプルな飾り付けがされた程度の部屋に見えた。生徒会室の下は確か倉庫か何かのはずだったが・・・ここも恐らく生徒会室が結婚式場に改装されていた様に、アテネの手によってがらりと様相が変えられてしまったのであろう。しかし、何でまたベッドルームに・・・

「・・・っ!?」

と、気付いてしまう。そこにベッドルームがある意味に。

「ふ・・・不潔よっ! 不潔だわ!」

自分の思いつきに思わず顔に血が上り、同時に薄れ掛けていた怒りが再び込み上げてきた、まさにその時。

「ほほう、生徒会長様は一体何を不潔だと言うのかね?」

「うむ、実に興味深いな」

「!?」

やたら近くからいきなりかけられた声に、ヒナギクは思わず身体をビクンと震わせる程、驚いてしまう。

「り、理沙、それに美希!?」

「にははー、わたしもいるのだ!」

「い、泉まで!」

通称・生徒会三人娘。
ベッドの裾にこれまで隠れていたのか、ヒナギクは彼女たちの存在に全く気付いていなかった。

「あ、あなたたち、いつからそこにいたのよ!」

「ん? ヒナが天井から落ちてくる前からずっとだぞ?」

「むしろ我々が一生懸命ベッドメイクをしていたところに、ヒナが突然落ちてきたんじゃないか」

「にはは〜、親方、空から女の子が! 凄いスピードで!」

「よし、逃げろ! この下に避難だ!」

「とまぁ、そんな具合だ」

「・・・そう」

要するに彼女たちが生徒会室やこの部屋の改装をやっていたということか、と理解して、まさかの身内の犯行にげんなりしてしまう。が、それだけでは済まされない。

「ところでヒナ、不潔って、一体ナニを想像していたのだ?」

相変わらず薄暗くて表情はよく見えないが、ニヤニヤしているであろう理沙の声が、ヒナギクに揺さぶりをかける。

「べ、別に! 何でもないわよ!」

「ほーう? 本当に?」

「本当よ本当!」

何やら居たたまれない思いをさせられることになりそうで、アテネとハヤテのこともあり、早々にこの部屋を抜け出したいヒナギクなのだが、まだ身体が満足に動かせない。

「そうか、ならば仕方ない。 泉、この部屋の目的を生徒会長に教えて差し上げるのだ!」

「へ? い、いや、いいから! 別にいいから!」

そうこうしている間に、いよいよ話がおかしな方向に向かい始める。出来れば身体を十分に動かせる様になってから階上に向かいたかったが、そうも言っていられない気がしてくる。

「この部屋はねーヒナちゃん、新婚さんが結婚式の後に、愛を育む部屋なのだ〜♪」

「ふふ、泉はお子ちゃまだな。 もっとストレートに言わねばヒナには伝わらんぞ? そう、ここは初夜を迎える場所!」

「そして初夜とはつまりセ」

「いいからやめなさい!」

なんか自分が弄られるだけでなく色々とマズい気がして、ぷるぷる震える身体を無理矢理起こし大声で三人の声を遮る。

「ちぇー、ヒナちゃんノリが悪いなぁ」

「仕方あるまい、ヒナは泉以上にお子ちゃまだからな。 主に胸とか」

「だがそれがいい!!」

「うるさいうるさいうるさい!」

もはやヒトの台詞をパクることも厭わない程に必死。とにかく、これ以上ここに居てはいけない。主に精神衛生上の問題で。

「と、とにかく、私はもう行くわ。 まだ高校生の二人に、こんな場所、使わせる訳にはいかないから!」

「なんだヒナ、やっぱりわかってるんじゃないか」

「にはは〜、ヒナちゃんってばおませさん♪」

「・・・・・・」

付き合ってはいけない、付き合ってる場合じゃない。そう心の中で繰り返しながら、正宗を杖になんとか立ち上がる・・・が、そこでふと、違和感を覚える。

「ところで、ヒナ」

「な、なに!?」

そのタイミングで声をかけられて、思わずびくぅ! と身体を震わせてしまう。違和感の出所はすぐに気付けた。なんだか足の間が、スースーするのだ。何故かはわからない、というか、何故にその様な事態になってしまったのかが、わからない。とりあえずわかるのは・・・

「スパッツと下着、失くしてないか?」

「――――――っ!?」

絶対に気付かれてはいけない、と思った相手に既に知られていた。

「なななななななんでそれを!?」

しかも動揺のあまり、それを素で認めてしまう。
マズい。
絶対にマズい。
いくら完璧超人の生徒会長と言えど、流石にそんな状況で木刀を振りかざして戦わねばならないかもしれない場所へ戻る訳には行かない。いや、それ以前にその手のことをこの三人に知られてしまっているという状況がマズい。ここぞとばかりに弄られるんじゃないかと、嫌な予感しかしないヒナギクなのだ。
だが。

「いや、天井からヒナが落ちてきた時に、思わず上を向いたら、ヒナのスパッツと下着と思われる物体が、ひらひらとこの部屋のどこかへ舞って行って、だな」

なんでそのタイミングで脱げたのか。超スピードの突進に不意の落下が重なって、有り得ない力が働いたのか・・・いや、それこそまさに有り得ない。だからこそ、これも間違いなくアテネの手によるものだろう。そう考えが至ると、再び彼女をとっちめてやりたい衝動が湧き上がるのだが、とりあえず今のヒナギクにとって大事なのはそこではない。

「この部屋! この部屋のどこかにあるのね!?」

下着の行方。それが何よりも最優先、最重要なのだ。

「あ、ああ、多分な」

「探す! っていうか探して! あなたたちも!」

弄られる前に迫力で押し切ろうと必死で声を荒げるヒナギクに、

「ふ、仕方ないな。 ヒナの頼みとあれば断れん」

「じゃあみんなで手分けして探すのだ〜」

 

予想外に協力的な三人。ヒナギクは内心で安堵すると共に三人を疑ってしまったことに多少の罪悪感を抱き、

「ちなみにヒナの今日のパンツの色は・・・」

「それはいい! 言わなくてもいい!」

結局その罪悪感はなかったコトにする。
何より、今は探し物だ。
まずは下着、全てはそれからなのだ。

「っていうか明かりよ! 明かりは何処!?」

「残念ながらヒナ、この部屋に明かりはないのだ。 何故ならこの部屋はその方が都合がいいから! どう都合が良いかと言えばだな・・・」

「やっぱりいい! あーもう! なんなのよ!」

今日は厄日だ。
間違いない。
またしても涙目になりながら、ヒナギクは薄暗い部屋を必死で探し回るのであった。

 

―――ちなみに。

「なぁ、それ、いつ返すんだ?」

「何を言う。 今更返したら、隠し持っていたコトがバレてしまうではないか。 それこそただでは済まされんぞ?」

「まぁ、そうだよなぁ・・・」

ヒナギクとは離れたところで、彼女には聞こえない小声で話す理沙と美希。
理沙は見たのだ。ヒナギクのスパッツとパンツが舞ったその瞬間、美希がかつて見せたことの無い野生の獣の動きで、獲物を捕らえた瞬間を。

「ま、しばらくしたら代わりのパンツを買ってきてやるさ。 それまでは涙目のヒナをじっくり鑑賞するとしようではないか」

「ふ、ふふ・・・おぬしも悪よ喃(のう)」

「お前もな、越後屋・・・ふふ、ふふふふふ」

「こらそこ! 笑ってないで探す!」

「おお、すまんヒナ! すぐ探す!」

そうしてヒナギクは延々、見つかるハズのないパンツを探し続ける羽目になるのだった・・・

ちなみにスパッツと下着は、このあとスタッフ(美希)がおいしく頂k(ry









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まえのおはなし。

つぎのおはなし。

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