「やはりアリスは魔人だった」

 エレナ・カミオは、真っ赤な紅をさした唇を、ぎゅっとかんだ。まさに絶体絶命の状況だった。
 彼女らを取り囲んだ十数人もの現地人は、みなけばけばしい色づかいの、ゆったりとした法衣か腰布を身につけ、原始的な石斧や槍といった武器をにぎりしめている。奇妙なことに、そろって一様に爬虫類的な顔だちだ。亜熱帯のじめじめした土のうえに後ろ手におさえつけられたジーン・ドワイト・チャンが、痛みにうめいた。エレナと彼は、かつておなじ傭兵部隊で顔見知りの仲だった。前線をくぐりぬけてきた彼らが、囲まれるなどというヘマは、ふだんなら絶対にありえないはずなのだ。
「さすがは、大司教さまは、お目が高い」
 ただひとりだけ、小型の恐竜のようにも、巨大なトカゲのようにも見えるみどり色の生き物を馬のように乗りこなす男がいた。彼の法衣はとりわけ多彩な原色にいろどられていて、顔や腕には派手なペイントがあった。どうも、こいつがリーダーらしい。
 男はひと振りの金づくりの杖を手にしていた。いっぴきのヘビを模しているのだが、その頭は三つ叉にわかれている。不吉なモチーフだとエレナは感じる。
「あんたたちは、いったいなに人なの? 国籍は? 言いなさい」
 二人がかりで両わきをかかえこまれていながら、彼女はあくまで冷静で、強気だ。肝がすわっている。戦うヒロインは、こうでなくちゃいけないのだ。
「なあに、通りかかったおまえさんを、大司教さまが見初められたのだ。われらがグラァナルダ神の聖なる晩餐に、おまえさんはまさに適任だ」
「土着の宗教……? まさか。着陸前にこの大陸の情報を確認したけど、そんなデータはどこにも……」
 リーダー格の男は、大トカゲのたづなを繰ってぐっとエレナに詰め寄った。じゃれついているのか、大トカゲはベロリと彼女の頬をなめる。落ち着いていた彼女も思わず金髪のショートボブを揺らしてヒッととびあがる。そのわずかな時間のあいだのことだ。リーダーが、手にした三つ叉ヘビの杖を振り回すと、空を切って、エレナの青紫の強化スーツの胸元と両腿のつけねに、あざやかに切れ目が入ったのだ。なにが起こったのか、エレナにもジーンにもわからなかった。男がひとり近づいて、にやにやと切れ目をつかみ、彼女のスーツをひきさいた。
 ごく薄く体にぴったりと張りついているこの強化スーツは、特殊な最新素材でできていて、切り傷にはとりわけとても強いはずなのだ。仕込み杖であってもこんなに簡単に傷がつくはずがない。それに……。振り回された瞬間、ヘビの杖はまるでむちのように延び、生命をふきこまれたがごとく、エレナにむかってきたかのような……。
 首から縦長の臍までと、真っ白い太もものすべてがあらわになったさまを、なめまわすようにカメラが下からパンする。すばらしくめりはりのあり、筋肉にひきしまっていながらもはじけそうに肉のつまった、完璧な肉体だった。傭兵をやめてから、ヌードモデルのパートタイム労働をやっていたというのだから、おかしなことではない。
「司祭さま、どうしますか」
「もちろん、味見だ。バチはあたるまい」
 鼻先にグッと三つ叉ヘビの杖を近づけられて、エレナはううっと顔をそむけた。先ほどジーンに言ったとおり、ヘビだけは苦手なのだ。
 そう、そういえば、いっぴきのヘビが、きっかけだった。救難信号をたどって、このジャングルを歩いているときだ。アマーラン(現地の古語で「重たい」)・ジャングルと名づけられたこの地は、カデタニア大陸の中でも随一の広大さを誇り、無数の種の植物や動物たちの重く湿った息吹が汗ばむような熱気を生みだし、部外者を圧倒し、また圧迫していた。カサカサと木の葉をゆらす音、そしてぶきみなしゅうしゅう音がきこえた瞬間、反射的に彼女とジーンは、背中あわせになって、レーザーガンをかまえた。そして、まだらもようのヘビが、ポトリと木から落ちてきたのだった。
『なんだ、ヘビか』
 とジーンは緊張をといたが、エレナは、そのままの姿勢で、ぶるぶると震えていた。
『巡査長?』
『ご、ごめん。わたし、あ、あれだけは苦手で……』
『初めて知りました』
 彼は面食らった。ともにかつて戦場で、むごたらしい死体をヒョイヒョイとまたいで進軍してきたエレナが、まるでふつうの女みたいなことを。
『本当にヘビだけなのよ。あの目、目がダメなの。だって何考えてるかわかんないじゃない』
『何考えてるかわかったら、そのほうが怖いですよ』
 彼女の悲鳴は悲鳴にならなかった。カサカサ、しゅうしゅうは、いまや一方だけでなく、彼女らを中心にする全方位からきこえてきている。もはやとりみだす一歩手前だ。ジーンは優越感をおぼえていた。この、自分の美貌と金髪とグラマーさをいつも鼻にかけている、生意気な年増女とコンビになってからというもの、こんないい気持ちになるのは、これがやっとはじめてだった。
『巡査長、ぼくがおっぱらいます。ぼくにつかまって、目を閉じていてください。ほら……』
『あ、ありがと、ジーン……』
 何が起こったというのか? その瞬間、彼らは取り囲まれていたのだ。ヘビではなく、武装した、色の黒い現地人どもにだ。
 そして、いま……。
 ヘビに遭遇するよりも、ずっとおぞましき出来事が、彼女の眼前で起こっていた。
「なんて……なんてこと、ああ……」
 金細工の三つ叉のヘビの頭がゆっくりとうごきだしたのを、エレナは最初、目の錯覚だと思った。そう思いこもうとした。しかし、ごまかしようもなく、はっきりと、くっきりと、三つのヘビ頭は、それぞれが独立してうねうねと動きだし、そして濡れた瞳孔で、いっせいにエレナを見上げたのだった!
「あ、ああ……あああッ……」
 司祭と呼ばれた男は、さらに杖を、いまや生きている三つ叉ヘビをぐっと彼女の胸に近づける。はちきれんばかりの豊満な、風船のようなバストの谷間を、三つの舌に同時にちろちろとなめまわされ、彼女は金髪をふりみだしてわめき、いまにも失神せぬばかりだった。
「ふふふっ、さすがだ、このハリと艶、わが神の子羊としえささげられるにふさわしい……」
 ふだんの彼女なら、『あら、ありがとう、お世辞でもうれしいわ。わたし、これでも年増で通ってるのよ』などと、皮肉のひとつも返すところだったが、いまだけは、エレナはエレナではいられなかったし、いられるはずもなかった。
 そして、三つの頭はさらにスーツの内側にスルリと入りこみ、割れた舌先が、ついに彼女の敏感な先端に到達するかと思われた、そのときだった。
 強気なヒロインがとらえられ、たっぷりと淫らな拷問でいたぶられたそのあとに、やっとヒーローは登場する、これは太古の昔から決まっていることなのだ。
 彼は、過剰なまでに鍛えあげられた肉体に、皮の足通し、毛皮をなめしたブーツ、死体からゆずりうけられた鉄の肩当て、そしてそれをとめる革のベルトだけをまとっていた。ほぼ裸といってよかった。浅黒い肌には大小の古い傷、比較的新しい傷が無数にきざまれ、全身がうめつくされている。
 のびきった黒い髪を無造作にうしろでたばねているが、髭はきれいに剃られている。小さなナイフともうひとつ、大ぶりな両刃の剣をぶらさげているだけで、盾は持っていない。へたな盾などなくとも、鋼鉄の太い綱をよりあわせてかたく編んだようなこの筋肉は、どんな剣も通さぬのではないのか……彼はそんな錯覚と畏怖を、見るものにあたえた。
 彼がぬっと姿をあらわした瞬間、現地人たちも、エレナやジーンすら、息をのんでおびえた。いま彼女らが所属する非政府パトロール室にも、むかしの軍隊にも、これほど全身鍛えぬかれた重々しい筋肉を身につけた男など、いなかった。その発達のしかたを見るものが見れば、ステロイドを使用して毎日トレイニングマシンに向かったのではけしてない、命をかけた幾多の実戦でしか手に入れることができないものだと、すぐにわかる。それにこの鋭いながらも、暗い眼光……。闇の底から見上げてくるような、ぞっとする視線でありながら、小動物のように、純粋だ。
「ここで何をしている?」
「なんだ、きさまは……。こいつの仲間か? そうじゃなさそうだな」
「いったい、何をしている。おまえたちは、だれだ」
「ふん、きさまには関係ない。蛮人、首をつっこむと、痛い目にあうぞ。とっととうせろ」
「た、たすけて、お願い……!」
 エレナは息もたえだえに叫んだ。
「助けて、わたしたち、こいつらに拉致され……」
「うるさい。よけいなことを!」
 彼女をおさえつけていた男のひとりが、その頬をピシャリとはりとばした。その瞬間、未開人は大地を蹴り、目にもとまらぬ早さで大剣を引き抜いた!
 エレナの両わきをかかえこんでいたふたりの男の首が、ドサリドサリと、地に落ちた。
「あああ……!」
 彼女は脱力してくずれおち、両手で這うようにして、蛮人にすがりついた。
「くっ、こいつ、何を……!」
 現地人たちにスキが生まれたのを見逃さず、ジーンが腹ばいの姿勢のまま、彼をおさえこんでいる男に蹴りをくらわせた。いましめをとかれた彼は、ここで、得意のカンフーで敵どもをなぎたおしてゆくはずだったし、エレナだって、たたき落とされたレーザーガンに飛びつくために、マーシャルアーツを披露するにいとわない気でいた、しかし。
「きさま。これでもくらえっ!」
 司祭がジーンにつきつけた杖のヘビ頭が、とつじょとして、妖しい光をはなった。ヘビたちの六つの目が、赤く光りだしたのだ。見たこともないくらいに赤すぎる赤! それでいて血のようにどす黒い赤が、視界をぬりつぶし、精神をおおいつくす……ジーンの動きが止まり、その場にへたへたと膝をついてしまう。
 蛮人が司祭におどりかかろうとしたとき、間一髪で、蛮人もまた、三つ叉のヘビを眼前にむけられてしまう。
「み、見るな……! その、赤い目を……」
 ジーンのせいいっぱいのかすれた叫び声がひびくも、完全に手遅れだった。蛮人は、くらりとめまいを感じた。光は彼の脳をじわじわと確実に浸食していく。目の前に見えるのは、皇帝のように雄々しくそびえ、大きく口をあけて威嚇するヘビの眼光だけ……。これは何だ? 彼は猛烈な頭痛をおぼえ、頭をかかえた。シャーッとヘビが喉を鳴らす音が、頭に響きわたり、無限に跳ねかえってこだまする、鏡の部屋に閉じこめられたように。心そのものが邪悪に、圧倒的な邪悪そのものに侵され、悪魔よりももっとおそろしいものが耳元にささやく……屈服せよ……いったい何ものの声であるのか? 拒絶すればするほど、内蔵をえぐり出されるようなはげしい責め苦がどこまでも彼を追い、容赦なくかたくしめつけるのだ。
 エレナもまた、ヘビの赤い光を見てしまう。同じように、不可思議な体験したことのない苦しみにおそわれる……あの、からだじゅうを何かおぞましい力でしめつけられるような感覚に。吐き気をこらえてうずくまるしかできない。
「よし、いまだ、かかれ! 奴から女を奪え!」
「ウ……ウグオオオオッ……」
 司祭の計算では、いかな強靱な肉体を持つ男であろうが、これで完全に袋の鼠となるにきまっていた。ところが、どうだろう。この恐るべき蛮人は、エレナを自分のうしろにかばい、抱えた頭をくらくらとふらつかせている。なのに、手にした大剣は、おそいかかってくる現地人どもを、正確に、力強く、なぎ払いつづけるのだ。まるで食用の鶏をほふるがごとく、スパリスパリと、いともたやすく、首や腕が、つぎつぎに宙に舞った。
「くそ、なんたることだ、この役立たずどもめ……ううっ、もうじき礼拝の時間がはじまっちまうじゃないかぁ……そうだ!」
 司祭は手ぶりで部下たちに、なかば白目をむいているジーンを大トカゲの鞍の上にかつぎあげるよう命じると、きびすをかえして走りだした。
「聞け! この小僧はあずかった! かえしてほしくば、わが聖都におもむくのだ、女! おまえの体とひきかえだ!」
「じ、ジーン……!」
 エレナは這いずって追いかけようとしたが、立ち上がることすらままならぬのに、追いつくはずもない。
 そのとき、彼女の体がふわりと宙に浮いた。
「あ、あぁっ……」
「じっとしていろ!」
 エレナは、蛮人の両肩に軽々とかつがれていた。彼はまるで、天秤をかかえて歩く古代の商人のようだった。あまつさえ、蛮人は、そのまますさまじい速さで駆け出し始めた。野生獣のごとき脚力! それに、あの謎めいた赤い光を、エレナとジーンと同じようにもろに浴びたばかりなのに、どうしてふたりと違ってここまで体が動くというのだ? なんたる精神力!
「な、なぁにぃ、なんで追いかけてくるんだっ!」
 大トカゲは競争馬なみのスピードで地を駆けているはずだが、蛮人といったら、互角の勝負にまで持ち込んできたのだ。
「く、くるな……きちゃだめだ……!」
 ジーンが力をふりしぼって叫ぶ。
「こいつらの目当ては、あなただ、巡査長……! だから、追うな、追ってくるんじゃないッ……!!」
 蛮人は、足を止めた。みるみるうちに司祭の繰る大トカゲは遠ざかっていった。
「本当なのか、女よ? 追ってはいけないのか?」
 さかさまになったまま、エレナはうっすらと笑った。
「素直なのね。おろして」
 彼女は土に尻をつけると、ふうっと息をつく。
「どうも、ありがとう。ほんとに、わたしっていつも悪運がいい。エレナ・カミオよ」
「おれは、テッサリアのダリオス」
「ダリオス、あなた、どうしてあんなところに……?」
「旅の途中だった」
「通りがかりってわけ? どうしてわたしを助けたの? 悪玉はあいつらじゃなく、ひょっとしてわたしたちだったのかもしれないじゃない」
「悪玉? そのことばはわからない」
 ダリオスは言った。
「だが、あいつらは卑怯ものだろう? だから倒した。それだけだ」
「卑怯もの?」
「一対一で戦わない。それは恥ずべきことだ。あらゆることの、なによりも」